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東愛知新聞 2020年9月4日掲載

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代表取締役社長 福井英輔:写真
代表取締役社長 福井英輔

漁網製造からスタートし、現在はFRP(炭素繊維やガラス繊維強化プラスチック)の加工品販売を主力とする研究開発型複合材料メーカーに。
世界トップクラスの技術力を誇り、環境関連の素材や下水道管の補修材料など、ニッチな分野で圧倒的な存在感を誇る。
今年6月にACTテクニカルセンターが完成、成長への布石を着実に実行する。そこまでの道のりは決して平たんではなく厳しい時期もあった。福井英輔社長に、祖業の漁網から最先端分野に移行した歴史や今後の展開を聞いた。

最新の環境対策を施したクリーンな施設:写真
↑延べ床面積1,100坪。最新の環境対策を施したクリーンな施設で次の百年を見据える。

1.先人達の生き様。

1910年赤羽根の網元、福井作蔵商店を祖業として、1947年第二次世界大戦後、南満州から引き上げてきた創業者福井道二と広島県呉市の海軍兵学校から帰ってきた良輔(二代目社長)が福井漁網株式会社を創業した。

◆ 祖業について伺います。

福井満州から引き上げてきた祖父は、その経験や肌感覚で常に大陸(世界)を意識していたようです。1950年に福井漁網を設立して法人化、世界数十か国へ漁網の輸出を開始しました。当時のパンフレットは英語の表記があり、戦後すぐにもかかわらず国際的な企業でした。
70年代には漁網だけでなく、カーペットなどインテリア関連へ事業領域を拡大していきました。今も手もとに残る鮮やかな表紙のパンフレットを少し紹介しますね。当時まだ新しい職業だったグラフィックデザイナーと苦労して作った跡が見て取れます。

祖母ひでは、当時大勢いた地方からの就労者(女性)の花嫁修業の一環として、お茶とお花を教えていました。これは単なる「嗜み」としてでなく、人材(人間)教育の大切さと、あり方を私に残してくれている様に思います。一服のお茶の精神っていいものなんです。

↑創業者福井道二 当時市内鍵田町にあった本社前で。
↑上記は当時の会社案内抜粋
↑スペイン語のパンフレットなど、早くから多言語で作成された。
↑世界の漁場へ向けて稼働する当時最新の生産工場の様子。
↑先代福井良輔 ラッセル機の前で。

2.変革への挑戦やその苦悩。

創業以来百年、全てが順調! とは、当然行かないのがビジネスの常。社会環境の変化や産業構造そのものの変化に対して、当時福井漁網としてどのように対処したのか? 「苦しい時に光を見つける」工夫について聞いた。

◆ 変革期のことについてお話下さい。

福井日本が豊かになるに従い、人件費や資材の高騰で漁網の価格競争力が徐々に下がりました。良い物を作っても売れない時期にさしかかったのです。時期を同じくしてカーペットは中国製品の乱入で価格競争に巻き込まれました。1989年に設立したマレーシア工場も赤字続き。さらに期待の新事業FRPは、なかなか軌道にのらず苦しみました。
そうした中でもFRPの研究開発費は惜しみませんでした。これは大きな賭けでした。失敗すれば廃業に追い込まれていたかもしれません。その後徐々にFRPに光が注ぎはじめました。そこで、先端の繊維技術を極めるという決意のもと、2004年に社名を福井ファイバーテックに変更しました。

◆ 研究開発費を削減しなかったことが、その後の躍進につながったんですね。

福井まさにそう。FRPの技術開発で、他社に簡単に真似できない技術を生み出すことができました。今では大手自動車メーカーからも製品開発の相談を受けることがあります。そのお陰で環境分野にも進出することができました。

◆ 主力を漁網からFRPに入れ替えた様子を伺うと、ハラハラしますが。

福井時代の流れとはいえ、漁網は何と言っても「祖業」。イコール企業の魂ですからね、そう簡単には切り替え出来ません。新事業にチャレンジしながらも、常に「漁網の未来は?」と自問自答しています。現に、私自身現在、日本製網工業組合の副理事長及び愛知県製網協同組合理事長を拝命し、業界維持は勿論のこと、先代、先々代が築き上げた「水産国日本」の復活を目指して、同業者の皆さんと、新しい切り口で業界再発展の道を探っているところです。
そんな中、祖業が無くなっても事業形態を大きく変換させ現在大活躍中の富士フイルムが新しいインスタントカメラの宣伝をしていたんです!
僕はとても感動しました。まだ、フィルム作っていたんですよね。そしてフィルムで培った乳剤技術が化粧品を生んだ。コマーシャルに見入りました。そして、見終わって大きな勇気をもらいました。

◆ なるほど、祖業の「魂」は決して失わない。という事ですね。

福井新事業、新事業といっても「祖業=魂」まで失った企業の永続発展は出来ないと思います。何とか、祖業の新たな展開もチャレンジしていきたいと思っています。
現在もリサイクル可能なFRPの開発や、鉄筋・鉄骨の代替材料としてのFRPの可能性追求など、土木・建築をはじめ、様々なジャンルへの進出を目指しています。10年後には大きく躍進していると信じて、さまざまな研究開発に邁進しています。
新入社員教育では「挫けない」「諦めない」「くよくよしない」を強く語りかける様にしていますが、私も社是でもある「当社独自の変革とチャレンジ」を胸に刻み、社員達と共に発展を目指す覚悟です。

◆ 私達の生活に近い所でのFRP製品は何かありますか?

福井そうですね、普段は地面の下で見えませんが、下水道管の補修にもFRPが用いられています。2006年に東京のインフラ技術開発会社から当時ドイツで開発された最先端の生産を依頼され、共同で量産工場を立ち上げたのが始まりです。
従来は壊れた下水道管をわざわざ掘り起こし、新品の下水管と取り替えていましたが、新工法では壊れた下水道管に、硬化する前の液状パイプをカテーテルの様に挿入。紫外線で硬化させて新しいFRP管を創成します。これによって工期が大幅に短縮され、大規模な工事が不要になる画期的な新技術です。

3.次の百年。未来の姿。挑戦と心構え。

クリーンエネルギーとして注目されている風力発電や、我々の生活インフラに欠かすことの出来ない技術。漁網もFRPも、実はいつの時代も私達の生活に近い所にある福井ファイバーテック。まだ見ぬ先端技術と、それを担う人材について聞いた。

◆ 6月に完成したACTテクニカルセンターについて教えてください。

福井ACTはAdvanced(先端・先進)Composite(複合材料)Textile(繊維)の略で、先進的な技術開発と生産ができる新施設です。外観も現代的なデザインで、先進技術に取り組んでいる姿を多くの皆さんにイメージしていただけると考えています。環境面にも優れ、大気汚染物質も出ないよう工夫されています。新時代にふさわしい工場として、今後の発展を支える拠点になります。
ここは、熱心な野球ファンでもあった先代が作った野球場の跡なんです。当時としては珍しい正に「ホームグラウンド」。従業員が共に汗を流し、仲間意識を培った場所ですから、次の百年をつむぐには最適なんです。先代が大切にした場所なので、工事前には墓前で深く頭を下げ、工場建設の許しを得ました。

↑立岩方向を望む。敷地総面積15,230坪 右端の野球場跡地には最新鋭設備のACTテクニカルセンターが。
↑ACTに隣接した臭気除去装置は高い環境保全性能を誇る。

◆ 変革とチャレンジの為には人材も大切ですね。

福井常に新しい道を切り開いていく精神が私たちの企業のDNAに刻まれています。その精神でFRPの新技術を確立し、世界で認められる企業になりました。
これからもニッチな分野にターゲットをしぼり、世界トップレベルの技術を開発し、さまざまな商品を世の中に送り出し、社会に貢献していきます。チャレンジ精神にあふれる社員ばかりで、私も心強いです。私たちと一緒に世界レベルの仕事をやりたい方、いつでも門をたたいてください。お待ちしています。

◆ 最後に社長としての心構えや今後の抱負を教えてください。

福井会社経営には「心の優しさ」と「胆力」が大切。経営者は色んな場面に出くわします。その場面での姿勢や決断には、これまでこの二つが大きく作用しました。難しい局面を乗り越え、どんな厳しい状況になっても研究開発を続けたことで、今の飛躍があると確信しています。世界市場では中国勢など強敵は多いですが、新しいマーケットや製品を創り出していく気概を持ち続け、当社が大きく飛躍できるよう尽力していきます。
来年を目処に東京・恵比寿に新たな拠点を設ける準備をしています。それが「ACT恵比寿ラボ」です。
研究・生産拠点としての豊橋は良い街ですが、優秀な人材の確保はもとより、市場の動向や要望をつぶさに汲み取り「即応」出来る様にしたいのです。つまり豊橋のACTは頭脳と手先。恵比寿のACTは我々の視野を広げるための役割を担います。

そう考えると我々は、次の百年のスタートラインに「やっと立てた」ということになりますね。

10年後の御社がどのように飛躍しているのか、今から楽しみです。
ありがとうございましした。

現在の世の中は
「企業の真価が問われている」自分達が社会にどのくらい存在意義があり、
製品がどれだけ必要とされているかを、冷静に自己分析すべき。
福井英輔